アレックス・ロドリゲスが現地時間7日に記者会見をし、12日のレイズ戦をもって、現役を引退し、今後チームのスペシャルアドバイザーに就任することを発表しました。いろいろと良いこと・悪いこと事件の多かったスーパースターの彼。今回は彼のキャリアの名場面トップ10を自分なりに選ばさせていただきました。
10、故意死球の直後、怒りの一発
2013年、ステロイド騒動により、四面楚歌にあっていたA-Rod。この日は敵地フェンウェイパークでの宿敵レッドソックス戦とあって当然大ブーイングを浴びていました。2回の大1打席に相手投手デンプスターに明らかに故意にデッドボールを当てられます。その事に抗議したジラルディ監督が退場。ただ、その後、6回の第3打席にそのデンプスター相手にバックスクリーンへ怒りの一発。結局、この日4-3、1HR、2RBIの活躍でボストンファンを黙らせました。この一発、ヤンキースファンとしてはめっちゃ震えましたよ。
9、2001年オールスター、最後のオールスターとなるカル・リプケンにショートを譲る
ヤンキースに入団後、ヒール役が定着したA-Rod。しかし、この場面は彼の粋な所が表われました。2001年オールスターゲーム(イチロー1年目のオールスターですね)、ファン投票1位としてショートのスタメンだったA-Rod。サードにはこの年限りで引退を発表しており、この試合が最後のオールスターとなることが決まっていた連続試合出場記録保持者のスーパースター、カル・リプケン。彼は、もともとショートだったのですが、キャリア晩年にサードへコンバートされました。試合前のウォームアップ中、A-Rodがリプケンへショートを守るように直訴し、一回表はサード・ロドリゲス、ショート・リプケンに変更しました。なんか、今のキャラとは全く異なりますが、かっこいいですね。
8、バリテックとの喧嘩、大乱闘
2004年ヤンキース移籍1年目だったA-Rod。アローヨにぶつけられたA-Rodがその後、捕手バリテックと言い合いになり、殴り合い勃発。その後、両軍入り乱れての大乱闘となった。この前年のALCSでも対決し、第3戦で大乱闘をおこなすなど、この当時はいつにも増して緊張感漂う因縁の対決でした。ちなみに、翌年巨人に移籍し、ネタ外国人となったキャプラーが張り切っているシーンもあります。
7、”THE SLAP"
2004年、ALCS第6戦。ヤンキースが1〜3戦を3連勝し、王手をかけるも4,5戦レッドソックスが連続サヨナラ勝ちで迎えた第6戦。4-2とレッドソックス2点リードの8回ワンアウト一塁で2番A-Rod。動画の通り、ピッチャーゴロを打ち、タッチに行ったアローヨのグラブを左手で叩き落とし、落球。しかし当然判定は守備妨害でアウト。そのままヤンキースは6、7戦もホームで敗れ、レッドソックスに大逆転でのワールドシリーズ進出を許し、その後86年ぶりの世界一でバンビーノの呪いを解く結末となりました。
6、40−40
当時、23歳マリナーズのそしてMLBのヤングスーパースターだったA-Rod。98年に去年日本で話題になったトリプルスリーを超える40本塁打ー40盗塁の大記録を達成。当時は2番ショートロドリゲス、3番センターグリフィーという最強コンビが君臨してたマリナーズでした。
5、ヤンキースへトレード
2000年オフに10年総額252億ドルの当時最高額でレンジャーズと契約をしたA-Rod。ただ、A-Rod加入後の2001-2003年、3年連続地区最下位に終わり、2003年オフにトレード先を模索していたレンジャーズ。実は、この前にレッドソックスとのトレードが合意間近でしたが、直前で破談となり、その後ヤンキースに電撃移籍。サードにコンバートされ、ショート・ジーター、サード・A-Rodの最強三遊間が完成しました。実はこの年ヤンキースが開幕戦を日本で行ったため、ヤンキースでの初ヒットはまさかの東京ドームでした。(動画参照)
4、3000本安打をホームランで達成
2014年にステロイド使用のため1年の出場停止を受けた。限界説が巻き起こっていた翌2015年、予想に反し、33本塁打を放ち見事な復活を遂げたA-Rod。中でも、6月に史上29人目となる3000本安打をヤンキースタジアムでしかも、ホームランで達成しました。
3、当時最高額10年252億ドルでレンジャーズ移籍
2000年オフにマリナーズからFAとなった当時25歳のA-Rod。その後、レンジャーズと10年総額252億ドルという天文学的な金額で当時のスポーツ選手歴代契約総額1位(しかも圧倒的な大差)で契約しました。当時のスポーツ選手の最高額契約がNBAのケビン・ガーネットの6年126億ドル、MLB最高がケン・グリフィーの9年116.5億ドルだったことから、いかにこの契約が当時ありえない金額だた分かるだろう。ただ同時にこの頃から、A-Rodの悪役キャリアが始まったと言っても過言ではないだろう。
2、ステロイド使用で162試合の出場停止
この一件で彼の名声は地に落ちたと言っても過言ではないだろう。ステロイド使用が発覚し、史上最大の162試合(2014年シーズン全試合)の出場停止処分を受けることとなった。薬物使用した彼の記録が引退後、どのように扱われていくのか、そして殿堂入りはできるのかも今後話題になるだろう。
1、2009年プレーオフ大爆発で初のワールドチャンピオンに輝く
一位はこれしかないでしょう!毎年のようにプレーオフで不調に陥り、批判されていたA-Rod。しかし、2009年は違った。ALDSでは第二戦に3-1の2点ビハインドの9回に同点弾。ALCSでも第二戦に1点ビハインドの延長10回に同点弾などでシリーズMVP。そして、ワールドシリーズでも勝負強さを発揮し、悲願の世界一に輝いた。彼のキャリアにとって最初で最後のワールドチャンピオンである。
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